| 今から約100年前の日露戦争の時に、日本の連合艦隊の旗艦として活躍した戦艦「三笠」は、現在、神奈川県横須賀市の三笠公園内の海岸に固定、保存されています。
明治35年(1902)3年の歳月と88万ポンド(当時880万円)の巨費を投じて、英国のヴィッカース造船所で建造した当時の最新鋭戦艦でした。また、当時世界最高水準の無線も装備していました。
三笠をイギリスに注文するとき、海軍は予算が尽きてしまい、山本権兵衛(海軍大臣)が内務大臣だった西郷従道(西郷隆盛の弟)に相談すると、「お国の大事だから、すぐ注文しなさい。とりあえず予算を流用し、もし違法性を追及されたら、皆で切腹したら良いではないか。それで世間も許してくれるだろ。二人が死んでも三笠が完成すれば良いではないか」と答えたという。これによって三笠は日露戦争に間に合ったのです。
1922年のワシントン軍縮会議で三笠は廃棄艦のリストに載り、日本は「三笠を記念艦として永久保存したい」と適用除外を訴えたところ、イギリスのチャットフィールド提督は「三笠は日本国民の魂であるので、沈めるわけにはいかないではない」と賛成し、永久保存が国際条約で公認されました。
第二次大戦後、ソ連の代表が「三笠は廃棄せよ」と主張。これに対して米・英が反対し、砲塔、マスト、艦橋を撤去して、存在が許されることとなりました。
1955年、三笠を訪れたイギリスのジョン・ルービンが荒れ果てた三笠の姿を見て驚き。三笠を記念艦として保存する呼びかけをジャパン・タイムスに投稿。国内外から大きな反響を呼び、多くの寄付金が集められて、昭和33年(1958)に「三笠保存会」が設立され、昭和35年(1960)に三笠保存会は財団法人になり、記念艦三笠を復元しました。
三笠保存会は、国の委託を受けて記念艦三笠を維持保管し、三笠に関係ある記念資料の蒐集、講演会の開催、印刷物の刊行などを行っています。
参考資料:日本海海戦100周年記念大会実行委員会
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