「三笠」の建造
当時の日本は、未だ自国で戦艦を建造する能力が
なかったため、英国に「三笠」の建造を発注しました。

英国の西岸中部の都市、バーロー・イン・ファーネス
にあるヴィッカーズ造船所において、明治32年(1899)
1月起工され、3年余の歳月をかけ明治35年(1902)
3月に竣工しました。

建造費は880万円(88万ポンド)でした。


<参考文:財団法人 三笠保存会>

「三笠」の回航

明治33年(1900)6月、艦長 早瀬源吾大佐が、翌34年の秋、副長以下乗組員200名がヴィッカーズ造船所に到着。「三笠」で館内居住を始め、装備機器の習熟に務めました。

明治35年3月1日、「三笠」は竣工、直ちに引渡しを受け、3月13日に回航の途につき、5月18日に横須賀港に到着しました。


<参考文:財団法人 三笠保存会>

三笠の活躍

明治35年(1902)7月21日に常備艦隊に編入。11月5日に常備艦隊の旗艦となり、12月28日に連合艦隊旗艦となりました。

明治37年(1904)2月に旅順艦隊攻撃に参戦、8月には黄海海戦に参戦。

明治38年(1905)5月27日に日本海海戦に参戦しました。

詳しくは 三笠保存会 http://www.kinenkan-mikasa.or.jp

爆沈事故

明治38年(1905)9月11日、0時30分、「三笠」の後部左舷15センチ砲の火薬庫が爆発、その直後に30センチ砲の火薬庫に誘爆、「三笠」は炎に包まれ、煙突、マスト、艦橋の一部を海面に残して佐世保港に沈座、死者251名を出す大惨事となりました。

引き揚げ作業は困難を極めましたが、翌年8月7日に浮上に成功しました。

第一線への復帰〜除籍

明治41年(1908)修理された「三笠」は第一艦隊の旗艦として任務に復帰し、海上の防衛警備に従事しました。

大正元年(1912)12月、第一線を退き、予備艦隊旗艦として舞鶴管区の沿岸警備の任務に就きましたが、大正3年(1914)、第一次世界大戦の勃発に伴い、第二艦隊に配属され、ドイツ東洋艦隊に備えました。

その後、大正7年(1918)には第五艦隊旗艦として、ロシア革命における在留邦人保護のためにウラジオ方面に派遣されましたが、大正10年(1921)9月、ウラジオ沖のアスコルド海峡で座礁した「三笠」は横須賀で転籍となり、岸壁に係留されました。

同年、ワシントン軍縮会議が開催され「三笠」の廃艦が決定しましたが、大正12年(1923)9月には関東大震災によって船体を損傷し、軍籍から除籍されました。

詳しくは 三笠保存会 http://www.kinenkan-mikasa.or.jp

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