相手にされていない酒の米
酒造りについては、先ほどお話した通りです。長時間にわたって、皆さんが眠くなるような話をさせていただきましたが、詳しくはお配りした資料を後ほどお読みいただければ幸いです。さて、今日の話しのクライマックスに移りたいと思います。
私は22歳の頃から酒についての講演やセミナーを全国各地でやらせていただき、三十路になりましたので、もう8年になりますが、今回は商売を経営なさっている方が多いと伺っております。ちなみに酒米を作っていらっしゃる方はいらっしゃいますか?今日は多少辛口のことを申し上げますので。いらっしゃいませんね(笑) まぁお耳障りの点がございましたら、私が帰った後にでも「あの若造は、何てぇ野郎だ」と、酒のネタにでもして頂けたら幸いです(笑)
私は米については専門ではありませんが、亡き親父が「日本酒造組合中央会」という日本全国の酒造会社の業界団体で「原料委員会」というお米の確保を専門に行う委員会の副委員長をしていたり、伏見酒造組合で原料委員長をしていましたので、聞き伝えでしか知りませんので、細かいデータ等については、間違っていたらご容赦いただきたいと思います。
さて、おコメには、ご存知の通り、食用米と、酒米があります。酒米は酒造好適米ともいいますが、日本で消費されるのはだいたい900万トンくらいです。このうち酒米として使うのは50万トンぐらいです。酒造好適米は、このうち10万トンくらいです。手元のデータが少し古いので、昨年の2002年はもっと少ないと思います。
減反政策が始まった時、酒米も減反の対象になりまして、酒造業界は非常に困った記憶があります。全農も農水省も、所詮はわずか1%の消費しかない酒米のことなど相手にもしていなかったのです。その後、1993年に大凶作になったときも酒造会社は大変困りました。あの93年の米不足に陥った時は私は大学3年生でしたが、父は日本酒造組合中央会の原料委員会副委員長。つまり酒造会社の酒米手配の親分です。93年は米屋さん、スーパーの棚には米が全く無くなり、あっても2倍以上の値段で売られたり、レストランに行けばタイ米が出てきたりと、日本中が騒ぎました。
そんな中で当然ながら酒米も大きな被害を出し、全国の酒造会社は、清酒の原料である「米」の調達に大変な苦労をしました。特に悲惨だったのは東北の酒造会社さんです。酒米は地域での確保が大前提でしたから、大凶作の東北には米が無い。西国の酒造会社はライバルである東北が困るのをほくそえんでいました。ところが、我が父、吉村源一郎は非常にピュアで正義感あふれる純粋な人でした。もともとは学者出身の社長でしたから、正義感にあふれた人でした。
父が酒造組合の委員会で打ち出した方式は「全国痛み分け方式」というものでした。西国の酒造会社は痛みが少ない、ところが東北の酒造会社さんは生産すら出来ない。だから西国の酒造会社に割り当てる米の一部をかき集めて、東北に譲ってあげるというものでした。未だに東北の酒造会社さんからお礼を言われる事があります。
このために、父は不眠不休で東奔西走して東北の酒造組合に行ったり、政府にかけあったりしましたが、西国の酒造会社から圧力もかかったようですが、父は「困っている時はお互い様」として一歩も譲りませんでした。当時、私は「他人様のために1文の徳にもならないのに我が身をすり減らして、親父は何とお人よしなのだろう」と思いました。ある方が最近「あなたのお父さんは、とても実直で正義感あふれる人だった。もう少し永く生きていらっしゃったら、間違いなく勲章をもらえたのにね」とおっしゃっていました。
そんな人格者の父の息子は、苦労するんですよ(笑) 『お父さんは良い人だったのにね』とか(笑) 『お父さんと違って、息子さんはドライですね』とか。 そんな聖人君主のような人と比べられたら、普通の人間でも悪人に見えますよ(笑) 父は聖人君主、祖父は歩く質実剛健のような人でしたから、私は突然変異なのかもしれませんね(笑) 話はだいぶん逸れましたが、私がこの業界に入る前の年の平成8年から、酒米は生産調整から外され、減反とは無関係になりました。 |