吉村酒造株式会社
お問い合せサイトマップ
自然を楽しく、おいしく。


■日本の酒(講演集)

吉村酒造(株)吉村正裕 社長の講演会(録)

2003年4月
吉村源之助さん

吉村酒造の酒造りについては省略しました。


相手にされていない酒の米

酒造りについては、先ほどお話した通りです。長時間にわたって、皆さんが眠くなるような話をさせていただきましたが、詳しくはお配りした資料を後ほどお読みいただければ幸いです。さて、今日の話しのクライマックスに移りたいと思います。

私は22歳の頃から酒についての講演やセミナーを全国各地でやらせていただき、三十路になりましたので、もう8年になりますが、今回は商売を経営なさっている方が多いと伺っております。ちなみに酒米を作っていらっしゃる方はいらっしゃいますか?今日は多少辛口のことを申し上げますので。いらっしゃいませんね(笑) まぁお耳障りの点がございましたら、私が帰った後にでも「あの若造は、何てぇ野郎だ」と、酒のネタにでもして頂けたら幸いです(笑)

私は米については専門ではありませんが、亡き親父が「日本酒造組合中央会」という日本全国の酒造会社の業界団体で「原料委員会」というお米の確保を専門に行う委員会の副委員長をしていたり、伏見酒造組合で原料委員長をしていましたので、聞き伝えでしか知りませんので、細かいデータ等については、間違っていたらご容赦いただきたいと思います。

 さて、おコメには、ご存知の通り、食用米と、酒米があります。酒米は酒造好適米ともいいますが、日本で消費されるのはだいたい900万トンくらいです。このうち酒米として使うのは50万トンぐらいです。酒造好適米は、このうち10万トンくらいです。手元のデータが少し古いので、昨年の2002年はもっと少ないと思います。

 減反政策が始まった時、酒米も減反の対象になりまして、酒造業界は非常に困った記憶があります。全農も農水省も、所詮はわずか1%の消費しかない酒米のことなど相手にもしていなかったのです。その後、1993年に大凶作になったときも酒造会社は大変困りました。あの93年の米不足に陥った時は私は大学3年生でしたが、父は日本酒造組合中央会の原料委員会副委員長。つまり酒造会社の酒米手配の親分です。93年は米屋さん、スーパーの棚には米が全く無くなり、あっても2倍以上の値段で売られたり、レストランに行けばタイ米が出てきたりと、日本中が騒ぎました。

そんな中で当然ながら酒米も大きな被害を出し、全国の酒造会社は、清酒の原料である「米」の調達に大変な苦労をしました。特に悲惨だったのは東北の酒造会社さんです。酒米は地域での確保が大前提でしたから、大凶作の東北には米が無い。西国の酒造会社はライバルである東北が困るのをほくそえんでいました。ところが、我が父、吉村源一郎は非常にピュアで正義感あふれる純粋な人でした。もともとは学者出身の社長でしたから、正義感にあふれた人でした。

父が酒造組合の委員会で打ち出した方式は「全国痛み分け方式」というものでした。西国の酒造会社は痛みが少ない、ところが東北の酒造会社さんは生産すら出来ない。だから西国の酒造会社に割り当てる米の一部をかき集めて、東北に譲ってあげるというものでした。未だに東北の酒造会社さんからお礼を言われる事があります。

このために、父は不眠不休で東奔西走して東北の酒造組合に行ったり、政府にかけあったりしましたが、西国の酒造会社から圧力もかかったようですが、父は「困っている時はお互い様」として一歩も譲りませんでした。当時、私は「他人様のために1文の徳にもならないのに我が身をすり減らして、親父は何とお人よしなのだろう」と思いました。ある方が最近「あなたのお父さんは、とても実直で正義感あふれる人だった。もう少し永く生きていらっしゃったら、間違いなく勲章をもらえたのにね」とおっしゃっていました。

そんな人格者の父の息子は、苦労するんですよ(笑) 『お父さんは良い人だったのにね』とか(笑) 『お父さんと違って、息子さんはドライですね』とか。 そんな聖人君主のような人と比べられたら、普通の人間でも悪人に見えますよ(笑) 父は聖人君主、祖父は歩く質実剛健のような人でしたから、私は突然変異なのかもしれませんね(笑) 話はだいぶん逸れましたが、私がこの業界に入る前の年の平成8年から、酒米は生産調整から外され、減反とは無関係になりました。



お米の値段

 無関係になったとはいえ、大きな問題があります。それはお米の値段です。今一番安いコシヒカリで1俵60Kgとして18,000円から1番高い魚沼のコシヒカリで25,000円ぐらいします。それでは酒米はいくらするかというと18,000円ぐらいから30,000円ぐらいです。「なんだ、普通の値段じゃないの」とお考えになるでしょうが、酒米は、そこから精米をします。先ほどお話しましたように、大吟醸で6割を糠で捨ててしまいますので、倍以上の値段ということになります。

さて、凄いのは支那です。1,800円です。日本は中国大陸の9〜10倍の値段の米で酒を造っているわけです。安い輸入米が入ってくると、安い価格の酒がワインと競争できるようになるという意味で、私は日本酒の競争力を付けるためには輸入米を使うことには、私は実は賛成の立場でおります。私は個人的には支那という国は、どうも好きになれないのですが、いちおう輸入については今のところ賛成です。



酒米は、なぜ高いのか

 我々酒造会社は、どういうふうに米を買っているかと言うと、酒造組合中央会が各県の酒造組合連合会に連絡して、各社の必要量を予約します。それをまとめて全農に予約します。全農は各JAに指示して、農家がお作りなるわけです。酒造好適米は食べたら美味しくないので全量引き取るわけです。ですから我々は必ず注文した量は買うわけです。しかも即金で。

 酒米が、なぜ高い値段になったかと言うと、理由は、30年近くも予約した分だけ作付けをしていなかったのです。例えば「山田錦を10万俵ください」と注文出したとします。でも9万俵しか作付けしない、だから価格が上がる。食管法で補助金を手にして、いながら、値段をつり上げていたのです。当然、酒造メーカーは高い米を使うと経営を圧迫しますよね?実際、今は山田錦は余っているのです。ところが値段はさほど下がらない。何故でしょう?市場原理としては極めて不思議な世界ですね。



全農との関係

 当社は山田錦を永年1000俵単位で買っていたのです。そうすると500万円ぐらい毎年買っていたことになり、通算で1億円近いお金を支払っている計算になるのですが、これだけのお得意さんだったら、普通はお礼の手紙1枚ぐらいは来ても良さそうなものですが、一度も無いのです(笑) それで、米が余り始めたら急に「もっと買って」と言って来るのです。今、経済連と全農は大型合併をやっています。それで何を考えているかと言うと、金融業で残ろうとしているのです。いわゆるJAバンクですね。

まして全農の子会社である全農食品という会社は、事もあろうかJAの豊富な資金を背景に、外国の食品をドンドン輸入して組織的に売っているのです。日本の農業の親玉が、こんな調子です。ある広島の大きな酒造会社の社長さん、この方は戦国武将の島左近の末裔の方ですが、「吉村君、全農という巨大商社は、モンスターじゃよ」とおっしゃっていましたが、まさに伏魔殿だと思います。

そんなモンスター相手に、伏見酒造組合の原料委員長でもあった亡父は値段交渉をしていたのですが、モンスターは値段なんて下げない。私が社長室長の時ですから平成11年だったと思いますが、同じ伏見の玉乃光酒造という酒蔵の社長の宇治田福時という人が、組合の会議の席上、酒米の高い事について、父に凄い剣幕で文句を言ってこられたそうです。

玉乃光という会社の酒は全て純米酒です。コストも高い。それは理解できますが、1銭の徳にもならない事を、お人よしの父はやっていたにも関らず、宇治田社長は父に文句を言われる。私は父からその話を聞いて、「親父、原料委員長なんて即刻、辞めちまえ!」「そんなに文句があるなら、玉乃光が原料委員長をすれば良いじゃないか!」「俺が今から宇治田の爺さんの所に言って、とっちめてやる!」と激高しました。私も若かったですから(笑)

玉乃光さんは昔から各産地の農家と酒米を契約栽培されているそうです。独自にルートを持っていらっしゃる。だったら父に文句を言われなくても直接、経済連とか全農にクレームを言われたら良いのですが、自助の精神しかお持ちで無い方のようです。父は、「いいよ、皆のためにやっている事だから、理解してくれる人は見ていてくれる」と寂しそうに言っていました。本当に、お人よしの父でした。人格者には未だにかないません。



蔵元の現状

 では日本の蔵元はどうなっているか。 私が生まれた頃、今から28年前は3,400蔵元があって1000万石を造っていました。今は1,550の蔵元で500万石造っています。30年間で半減です。 では1,500の蔵元がこの先にどれだけ残っているだろうか。諸説ありまして、800という人もいれば700という人もいますが、私の予測では500以下になると思っています。500まで減るとすると、当然ながら、酒米の消費量は減るわけです。

もう1つ。日本酒産業は、実は殆どの会社が技術を委託しているのです。豆腐屋さんのご主人は豆腐を作れる、ラーメン屋のご主人はラーメンを作れますね。「秘伝のタレ」などがあって皆さん独自の技術を持っておられる。大きな会社でも自社の技術を自社で持っておられます。当然ですね。しかし小さな酒蔵は自社に技術を持っていない。何故か?それは杜氏という季節労務者を一定期間雇っているので社外に技術があるからなのです。

先ほど酒造りのお話を偉そうにさせていただきましたが、酒蔵の主人は結構お酒を造れない人が多いのです。杜氏という契約社員が技術を持っているのです。大手メーカーは製造部の社員が造るので自社技術といえるでしょうが、小さなメーカーの現状は、こんなものです。かくいう私もマトモに酒を造ったことなど2年ほどしか無いのです。

最近は小さなメーカーでも蔵元自らが酒造りをしているところも出てきています。それは素晴らしい事だと思います。「では吉村も、自ら酒造りをしろ」と言われるかもしれませんが、私は「自分が造らなくても良い」という考え方の経営者ですから、造りません。



■酒造りについての技術的な話は、お配りした用紙にお書き下さい。後ほど事務局が吉村さんに郵送します。本日は折角の機会ですので『商売』とか『経営』とか『流通』についての質問を中心にお願いしたいとおもいます。

吉村社長:あの、乾さんは今そうおっしゃいましたが、経営とか商売については、皆さんのほうが大先輩でいらっしゃいますので、私ごとき若造が答える内容は、たかだか底がしれていますから、なにぶん、お手柔らかに願います(笑)



質 疑



●農家と酒造会社の接点は無いのですか?

吉村社長:個々の酒造会社とはありませんね。酒米農家さんにとって蔵元はお得意先ですけど(笑) 仕方がなかったのです。流通機構で酒蔵と農家の接点が無いようになっていましたから。でも今は、一部の酒造会社は農家さんと契約して米づくりまで目を配るようになりました。これからですね。



●酒販業界の問題点は、何処にあると考えますか?

吉村社長:お手柔らかにと申し上げたのに、厳しいご質問ですね(笑)  すでに淘汰されつつあります。言い過ぎかもしれませんが、免許の問題なのです。昔は酒屋さんを開業するには、人口基準と距離基準という2つの基準から免許枠というものがあって、つい最近まで規制業種でした。全国一律の販売価格と建値制によって、また重量物で保税物品を扱う特殊な商売ということもあって平穏な産業でしたが、平成元年に一部緩和されまして、大手スーパーやディスカウントストアが参入するようになりました。ただ、この頃はディスカウントストアも、洋酒を並行輸入する程度だったので、価格破壊も大規模には行われず、そんなに影響はありませんでした。

ところが、阪神大震災の後に、ダイエーが輸入ビールの100円セールというのを始めまして、それが大手スーパーやディスカウントに波及し始めました。価格破壊の始まりです。総務省だったか、どこかの協会だったか忘れましたが、「ここ10年で最も値段が下がった物は何?」という意識調査で、堂々の第1位が、アルコール飲料でした。ちなみに、最も下がっていないのは公共料金だそうです。そんな経緯もあってか、『アルコール・デフレの諸悪の根源はダイエー』 と未だに憤慨されている方も多いです。

デフレに追い討ちをかけて、一昨年の平成13年に、距離基準が撤廃されました。これによってスーパーやコンビニだけではなくて、ドラッグストアまで参入してくるようになりました。そして平成15年の9月ですから、あと半年後ですね、人口基準も撤廃されますから完全自由化という事になったのです。税金をきちっと払っていたという証明があって、犯罪歴さえなければ誰でも酒を売れるようになったのです。私の経営するマネジメント会社も、免許取得を希望されるギフト会社の社長さんから相談を受けています。

免許が自由化になってから、コンビニと大手スーパーが出てきた。これらが一気に動き出しますと、一部の有力な中堅問屋と商社系の卸以外は相当厳しい戦いを強いられる。あとはユニークな商品構成をしている問屋が生き残って、他は大苦戦をするでしょう。生き残った卸や問屋から相手にされなくなった酒販店は、仕入れる手段を失うわけです。仕入れる口座があったとしても、即金取引を要求されたり、配送コストを要求されたり、毎日配送を断られたりするでしょう。だから最近は蔵元と直接取引したがる酒販店さんが増えてきています。



●問屋の存在意義はあるのですか?

吉村社長:問屋無用論という話もありますが、私は個人的には如何なものかと思います。というのも、まず物流費です。吉村酒造のように遠方地に普通酒のような安い酒を売る場合は、問屋さんに一括して納め、そこから小分けして納めていただくほうが物流コストは遥かに安く済みます。あとは与信管理ですね。酒屋さんの夜逃げなどありますから。私も逃げられた経験があるのです。年末に出張して、酒屋さんに挨拶廻りをしていた時の事です。ある大きな酒屋さんに菓子折を持って挨拶に行ったら、「おう、ご苦労さん」とおっしゃる。で、問屋の営業所に行ったら大騒ぎになっていた。

何の騒ぎか聞いたら、さっき行った酒屋さんの件で問屋に弁護士からのFAXが来ていたのですよ。私は驚きましたよ。「え?だって、さっき菓子折を渡しましたよ、あそこの社長、いましたよ」と。 それで、慌てて問屋のセールスと一緒に先ほどの店に行ったら、シャッターが閉まっていて張り紙がしてある。「御用は弁護士に」って。思わず叫びましたよ「菓子返せー」ってね(笑) 幸い、売掛金は問屋が払ってくれるシステムだったので、うちは不良債権化しませんでしたが、得意先の酒屋さんが次々に倒産でもしたら、メーカーで不良債権処理を出来る余力がある所は、あまり無いと思いますよ。



●酒問屋は厳しいと聞きましたが?

吉村社長:物流の遅れが、酒類業界の最大の問題です。私がこの業界に入るまでは物流センターの数が多過ぎました。群馬県だけでも前橋、高崎、太田、桐生、富岡、渋川、伊勢崎と7つも支店がありました。夫々に営業、経理、物流の人員が必要だったのです。それが高コストにつながっていました。これを変えたのはITと物流網の発達です。土地の高い都市部でなく郊外に一括物流センターを配置して、ITで管理することによって、1箇所で何でも出来てしまうようになったのです。

昔は酒問屋さんの主な得意先は酒屋さんでした。ところが私が入った頃にはスーパー、ディスカウント、コンビニと様々な業種の所に24時間体制で商品を売らねばならなくなった。ところが物流体制が追いついていない問屋は、パレットを並べて「A店」「B店」と紙を貼って、そこへ届ける商品をいちいち読み上げて倉庫からとってくる。

私も出張中に応援に刈り出されましたが、「C店に、レミーマルタン」と言われて、倉庫に向かう。するとレミーマルタンは、エクストラもあれば、スペシャルもあれば、エクセレントもあれば、V.S.O.Pもあるのです。「どれだ?」ということになる訳です(笑)「何のためにバーコードがついているのか」と思いましたね。明け方までかかる事もしばしばでした。誤配送も多かったでしょうね。

ところが、IT化によって、大手卸会社などはバーコードを読み取って、小分けして発送作業までシステム化されているのです。小分け作業でも専門知識のないパートさんが指示された数字の商品を支持された棚からバスケットに入れるだけで、後は自動的に発送場へと集荷されていくというシステムです。

つまり、物流にタッチする人は商品知識が無くても良いようになったのです。間違いも少なくなります。と、こんな話をある講演会で言ったところ、「プロなら全て覚えるべきだ」というご意見を頂戴しました。ところがですね、私の代になってからは商品アイテムも大幅に見直しましたが、父の代には吉村酒造のような小さな会社ですら200アイテムもありました。うちの社員ですら1年間の間に数回しか目にしないような商品でも1アイテムです。問屋さんは年間に何社と取引しているでしょう(笑)

今でも中小の問屋さんや地方の問屋さんの中には、白板に1号車、2号車、3号車と書いてあって、その日に廻る酒屋さんの名前が記してあって、紙の伝票を持って一々、倉庫から商品を取って積み込むような問屋さんもあります。資金回収も銀行振り込みにせず、いちいち廻って回収してくる。そうなると、営業マンの月末1週間は販売行為が出来ない。部外者の私から見ても効率が悪い。 リストラの一環で、営業マンを廃止して配達トラックの運転手さんが営業を兼ねている所もあります。

中小の問屋さんは、肝心の営業拠点の統廃合と物流の革新が、なかなか進んでいない。昔はアルコールの販売所は圧倒的に「街の酒屋さん」だったのですが、今はその比率は僅かです。スーパーやディスカウント、コンビニといった業種のほうが、比率が高くなった。こういった業態への営業は、本部に出向いて一括で商談をしてしまう。つまり営業拠点も、多くは必要なくなってしまった訳です。

これからの問屋さんは、売り先への利便性、例えば「時間帯届け」とか「1本からでも届けます」とか「翌日には届きます」とか「こんな新製品が何処よりも早く届きます」とか「店舗の棚割提案をします」といった、小売のニーズを満たした酒類卸だけが生き残るのでしょうね。価格だけで勝負するといった手法は、今もって主流ですが、あと5年で終わると思います。



●場所によっては酒屋さんの自由化がされないと聞きましたが?

吉村社長:緊急調整地域の事ですね。先ごろ成立した「酒類小売業者の経営の改善等に関する緊急措置法」という法律で、緊急調整地域という場所に指定された地域は新規参入が1年間凍結されることになったためです。時限的な経過措置でしかありません。

いずれにしても酒販免許が自由化されることで、飲食店さんや宅配チェーンさんなどが新規参入されるでしょうから、新たな事業を模索していくなど、お店の経営基盤を骨太にしていかないと、生き残りの道は険しいと思いますね。



●酒屋への直接販売はどうなのですか?

吉村社長:実際に問屋を通さずに酒屋さんに販売する酒蔵は増えています。外国の大手スーパーマーケットなども「直接仕入れ」を行っている所もあります。ただ、私の考えを述べますと、酒屋さんの経営体質をいちいち把握できませんから、保証金を預かって、限度額を設定して、その範囲内でのお取引をしないと、万一のときは不良債権になってしまいます。ところが、酒屋さんの立場で考えると、日本酒は全国平均で考えても、アルコール売上全体の10分の1程度です。

しかも、1軒の酒屋さんで何種類もの日本酒を扱うから、仮に30社と取引したとして、単純計算で10分の1の更に30分の1ですから、300分の1の売上にしかならない。そんな相手先に保証金など、あまり払う店はないでしょうね。ですから我が社は基本的には酒屋さんへの直売は行っておりません。ウォルマートさんが「取引したい」とおっしゃれば別ですが、絶対に無いでしょう(笑)



●酒屋さんには直接販売はしていないのですか?

吉村社長:私の父の代には京都の酒屋さんに数軒だけ直接販売をしていました。ところが但馬に移ってからは運送費もかかりますし、物流費を吸収するだけの販売量でもありませんでしたので、私の代になってから、お断りさせていただきました。この前、近鉄電車に乗っていると、偶然にもその酒屋さん夫婦とお会いしまして、ずいぶんお小言を頂戴しました(笑)



●酒販店はどうなるのですか?

吉村社長:お得意先の悪口はいえませんので、オブラートに包ませていただきますが、酒屋さんは地域経済圏の中で「立地性」「専門性」「利便性」のいずれかの条件で圧倒的優位に立っていないと、これからは厳しいでしょうね。

先ほど控え室で青木副会長さんとお話したのですが、こちらの地域は頑張っていらっしゃる酒屋さんがお在りだと伺いました。うちの酒は扱っていらっしゃらないようですが(笑) 置いてあるお酒の銘柄をお聞きしましたら、さすがに酒好きの青木副会長さんですね、スラスラとお答えになりましたが(笑)、 個性的な酒蔵のお酒を扱っていらっしゃるようです。つまり専門性で新規参入組より優位に立っていらっしゃるのです。

タバコ屋さんでもそうです。私は高校生の時から超ヘビースモーカーですが、煙草は殆どが自動販売機かコンビニで売っていますよね?ところが専門店というものも立派に存在します。葉巻などはデパートで売っていますが、希少価値の高い葉巻やキセルの煙草などで美味しいものは専門店しかない。で、はるばる専門店に行くと、とても高価な煙草がありまして、「これを買う人はいるの?」と聞くと、大企業の社長さんが、はるばる買いに来られるそうです。しかも何人もの社長さんがお得意だそうです。



●吉村酒造の得意先も無くなっていくのですか?

吉村社長:私は社長になってから、いや、専務になった頃からですから3年ほど前からは、酒屋さんに営業に行っていないのですよ(笑) 昔は良く行ったのですよ。殆どホテルに泊り込んで京都には帰らなかったのです。毎晩毎晩、得意先の居酒屋さんで飲み歩いてね。自分の所の酒を、お金を払って飲んで(笑)でも出張経費のわりには、売り上げが上がらなかったのです(笑) 酒屋さんの接待も随分しましたけれど、京都に来られて、こちらの金で豪遊される方に限って、真剣に売って下さらない(笑)

お酒の希望小売価格って、昔からあるでしょう?あれは殆ど嘘です。この地域はきっちり守られているようですが(笑) 私がこの業界に入って、営業マン時代に関東の酒屋さんを廻って、沢山のお店で言われたのが「お前のところの酒はリベートが無いから、売らない」ということでした。「売らない」という方はお得意さまでも何でもないので、この際、せっかくの機会ですから暴走して喋らせていただきます(笑)

で、その頃の社長は私の父でしたが、せっせと「良い酒を造れ!」と製造にゲキを飛ばして、高価な原料を使って、高いコストをかけて酒を造っていたのですよ。でも、ライバル他社の製品は6本に1本。極端なケースは3本に1本はタダで納めていたのです。昔は「トイチ」といって、10本に1本だったのです。ほら、昔は10本木箱に入っていたからです。それが6本のプラスチック箱になり、さらにデフレが加速した。

そうすると、リベートを出した酒の方が勝ち組になっちゃった。そうすると、酒屋さんは「儲からない酒はいらない」と言うことになった。リベート出さないうちの酒の売上高はウナギ下がりですよ(笑)でも高い原料を使って、生産体制も以前と同じだった。

おかげで、年間1億円の赤字を何年も続けるような状態に陥っていました。今から考えると、よく持ちこたえたと思いますよ。資産を会社につぎ込み続けていたのですね。ご先祖様に感謝ですが(笑) こんな事を続けていても目減りする。だから私が社長になった途端に、思い切った経営改革をしたのです。



●今は、どういうスタイルで売っているのですか?

吉村社長:うちの商品は、普通酒で「百萬弗」という商品があります。日本酒っぽくない名前でしょ?でも半世紀以上の歴史があるのです。主に北関東で売っている商品なのですが、これは三菱商事の子会社で菱食という食品卸会社があるのですが、そのまた子会社のリョーショクリカーという酒類卸会社を通じて売っています。

百萬弗は北関東の酒販店、スーパー、コンビニなどで売っています。うちは北関東を「絶対防衛圏」と呼んでいます。何か「大東亜共栄圏」のようですが(笑) こういった単語は若い世代の方は口をポカンと開けておられますが、今回は人生の先輩方が多くいらっしゃるので通じますね(笑)

あとのブランドは15種類ほどありますが、ほとんどが一般消費者へのダイレクト販売ですね。昔は流通に金をかければ、それだけ利益があがったのです。でも、一般消費者への販売は「暗黒大陸」とされていたのです。だってお金をかけても回収できるか判らないのですから。でも最近「お取り寄せ」という言葉が流行になってきています。色々な各地の名物や商品をインターネットや電話で注文して「取り寄せる」事ができるようになったんです。これもインターネットが貢献した一つの大きな成果であると思っています。

人によっては、「トヨタ自動車のホームページでセルシオを買う人などいない。お酒も同じ」 という人がいらっしゃいます。確かに道理ですが、私は異なる考えを持っています。10年前は、地方の小さな酒造会社が、全国を相手に販売する事などは不可能でした。これはまさしく、インターネットの最大の発明だと思っています。私は、消費者ダイレクト市場を「開拓圏」と呼んでいます。まだまだ安定圏内にはありませんね。盆暮れの贈答用ばかり売れていますので、家庭消費酒の開拓がこれからの課題であると思っています。

私はインターネット関連の会社の役員もしていますので、よく酒屋さんから「吉村君、ホームページを開設したら、売上は伸びるのかな?」という質問を受けます。ホームページを開設したら、お客様がいっぱい見てくれて、売り上げ倍増・・・そんなオイシイ話がある訳ありません。



●どうして関東で酒を売っているのですが?

吉村社長:これは流通の問題です。吉村酒造は大正時代に酒造りを開始しました。それまでは軍需産業を営んでいました。詳しくは吉村酒造のホームページをご覧いただくと載っていますが、大正時代は京阪神で販売していたようです。酒の名前も「誉輝」とか「四季の誉」という酒でした。ところが大東亜戦争の頃に企業整備というものが国策で実施されました。「あなたの酒造会社は、あそこの酒造会社と合併しなさい」というものでした。米が足りないから強制的に集約をさせようとしたのですね。 その頃の当主は祖父の吉村源太郎でしたが、休業を選択しました。 終戦を迎えて、祖父が国税当局に「復活させてほしい」と願い出ると、「いったん辞めた酒蔵に免許は出さない」という。

怒った祖父は、「全国酒造業復活期成同盟」というものを結成します。全国に企業整備によって、はからずも休業に追い込まれた酒蔵がたくさんあったのです。その同盟の代表に、祖父と「月の桂」という酒蔵の増田さん、今の社長のおじいさんですが、2人が代表となって政府に働きかけました。が、時の政府は何もしてくれない。当時の日本を仕切っていたのは占領国のGHQです。連合国軍総司令部ですね。マッカーサー元帥が日本を支配していました。そこで祖父はマッカーサーに直訴したのです。東京の数奇屋橋に全国から休業蔵元が集結して、祖父を含めて3人でお堀端の第一生命ビルに乗り込んだそうです。

対応したのは民生局という部署のフジイという日系人の米軍兵だったそうで、酒、味噌、醤油を管轄している人だったそうですが、憲兵に囲まれて「殺されるかもしれない」と怯えながらも熱弁する祖父達に「安心しなさい、明日には復活できます」と答えられたそうです。後日談ですがマッカーサー元帥の机は引き出しが無かったそうで、その場で即断即決で命令書にサインして全国の国税当局に通達が廻ったそうです。こうして2年ぶりに復活した吉村酒造は酒の名前を「百萬弗」に変えました。

そんな頃に、中泉株式会社という酒問屋のバイヤーが現れて、取引をしたいとおっしゃった。中泉株式会社の中はミツカンの中埜家の中、泉はソニーの盛田昭夫さんの実家の山泉醤油の泉、つまりは合弁会社です。清水の次郎長さんが仲を取り持ったというから歴史のある会社です。今はリョーショクリカーという会社になりましたが、その会社と取引をするようになりました。

中泉とは祖母の実家の酒蔵で播州・稲美町にある「倭小槌」という酒を造っている井澤本家も取引をしていました。酒の足りない時代でしたから、中泉さんから「今回は仙台に100ケース」 「今回は沼津に100ケース」と、吉村も井澤も市場が定まらない。そこで井澤本家と話し合って、井澤は吉村より西に位置するから、富士川より西の浜松に地盤を、吉村は群馬に地盤を築こうという不戦協定が結ばれました。群馬県とは、それからのつきあいで、今に至ります。



●吉村酒造は防腐剤無添加のさきがけと聞きましたが?

吉村社長:よくご存知ですね。どこかでお知りになりました? ホームページですか。そういえばうちのホームページに掲載してありますね(笑) 昭和40年代に「サリチル酸問題」というものが勃発しました。サリチル酸とはベンゼン環にカルボキシル基とヒドロキシル基両方を併せ持つ物質でして、19世紀には鎮痛剤として用いられていました。

ただサリチル酸は胃痛をおこすという副作用があったので、後にアセチルサリチル酸、つまりアスピリンに取って代わられることになるのですが、日本では明治36年に防腐剤として用いられていました。実は「イボ取り薬」の主成分でもあります。

昭和30年代、新婚間もない母が祖父から「日本酒は米と水から出来ている」と聞かされて、すかさず「お義父さん、日本酒にはサリチル酸が入っていますよ」と反論したのです。さすがの祖父もウッと声を詰まらせたそうですが、祖父は質実剛健の男ですから相当、悔しかったのでしょう。翌日に祖父が父に向かって「お前、研究者やろ、サリチル酸の無い酒を開発せい」と命令したそうです。

なぜ、防腐剤を入れていたかというと、お酒は基本的には腐りません。ところが乳酸菌の一種の「火落ち菌」というものだけは酒を腐らせます。一度、火落ち菌が繁殖すると、たちまち感染して「不造」という状態になります。蔵の酒がパーになるのです。どんなに裕福な酒蔵でも2度不造になると、倒れると言われていました。

父は京大の大学院で乳酸菌の研究をしていました。いわゆる専門分野です。研究して酒蔵の製造過程を見直し、瓶詰過程を見直し、昭和40年代初頭には吉村酒造は全製品の防腐剤無添加を完了しました。それから数年後に世界保健機構のWHOが「サリチル酸の食品混入禁止」を打ち出し、日本酒業界は蜂の巣をつついた騒ぎになりました。

ところが直後に「防腐剤の入っていない酒がある」とマスコミに吉村酒造が取り上げられて一躍有名になりました。飛躍的に大きくなるチャンスでしたが、当時社長の祖父は「群馬県にしか売らん」「量を増やしても目がいきとどかん」と言って、必要以上は生産を増やさずに、他所様には売らなかったそうです。



●また技術力を向上して販売を伸ばす事はできませんか?

吉村社長:実は、研究者の父はそれを考えていました。私が中学生の頃の清酒にはカルバミン酸エチル、通称ECAといいますが、それが含まれていました。健康上好ましくないとの理由で、カナダでは酒類の消費量に応じたECAの含有量の規制が行われ、アメリカではワインの製造業者に基準値が定められています。

醸造酒のECAは、酵母が出す尿素とアルコールが反応して、自然に化学的に発生します。米国の大学の研究者から情報をいち早くキャッチした父は「サリチル酸問題の再来」と考えて、早速研究を開始しました。

父の親友の奈良女子大学の河合弘康先生に協力をお願いして、研究室に泊り込んで、恐らく日本で最初に日本酒中からのカルバミン酸の抽出に成功したと思いますが、うちには京都大学の先生方や製薬会社の研究者さん達が連日のようにおこしになり、論文や本を広げて、ここは酒屋か、研究所か?と思うほどのプロジェクトチームが結成されていました。

研究の結果、日本酒の場合は、アルコール濃度と尿素濃度、貯蔵温度によってECAの生成速度が決まることが明らかになりました。清酒を熟成させる条件によってECAも生成されやすいという事が解ったのです。そこで、父は2億円を投じて「瞬間熱処理後急冷却方式」を考え出しました。 

通常の清酒は、タンクの熟成前と瓶詰前に2回、火入れという加熱殺菌をします。これは先ほど申しました「火落ち菌」は熱に弱いので、それを退治するためのものです。タンクや瓶に火落ち菌が付着していると、一発で酒がパーになりますから。ところが今度は、熱によってカルバミン酸が生成される。

そこで父はECAの低減策として「火入れの後に急速冷却する事で問題を解決する」という方式を考え出して、機械まで作ってしまいました。父の考案したタンクに貯蔵する前の急冷装置を設置し、タンクにも冷却装置を取り付け、貯蔵蔵の冷却装置を設置し、瓶詰めの後にシャワーで冷却する装置を設置し、100坪の大型冷蔵倉庫を建設したり、それは、それは大そうな設備投資でした。

父は、そこまで準備を整えておきながら、自らはマスコミに公表しませんでした。お人よしですね(笑) この頃、日本最大級の酒造会社が伏見にありますが、とても神経を尖らせていました。うちの会社にも盗聴器が仕掛けられたりしました。

その会社は後に大手製薬会社と協力して、酸性ウレアーゼという酵素を開発しまして突然マスコミに発表しました。日本酒の中の尿素をアンモニアと炭酸ガスに分解するという酵素です。

怒ったのは灘の酒造会社です。ですから、今も技術者レベルでは灘の方々はその会社と仲が悪いそうです(笑) ところが、この夢の酵素のウレアーゼを酒に入れると不味いのです。アンモニアを発生させますから、とても臭い(笑)

最終的には国税庁醸造試験所で、北本勝ひこ先生、この方は後に東大の大学院の先生になられますが、北本先生の研究チームが尿素非生産性酵母というものを開発されて、尿素そのものを発生させない酵母というものが出来まして、それで清酒を醸造すると問題は解消されるようになりました。

ところが、このカルバミン酸問題は、ちっとも世間を騒がせませんでした。ワインは日本酒なんかよりも、遥かにECAの含有率が高いのです。サリチル酸のように添加物ではなく、醗酵過程で天然に出来るものだから騒ぎにならなかったのかもしれません。

技術は世間に認められないと、「難解なもの」として片付けられるようです(笑) 嗜好品ですから技術は消費者の目のいかないところで磨くべきものなのでしょうね。日本酒の場合は、売り上げに直結しづらいと思います。



●これからは、酒造会社はどうなっていくのですか?

吉村社長:この業界再編は終焉を迎えています。蔵元の体力はどんどん無くなってきているのです。 もう一つ潰れる理由があります。杜氏の平均年齢は65才なのです。あと10年で日本中から杜氏は次々に消えていくのです。

人を育てるのに最低5年かかるとしますね、杜氏に代わって作業をするとなると、小さい酒蔵でも最低3人は必要です。5年で3人育てようとしたら、4500万円以上かかります。儲かっていない蔵は、そんな準備なんか出来っこないのですよ。杜氏が「今年で引退します」と言ったら終わりなのです。

ですから、これからは儲かっていない酒造会社は、借金してでも機械化するか、業務提携や合併などを真剣に考えていかないと、立ち行かないでしょうね。ところが醸造機械というのが高いのです。1台数百万円から数千万円する機械を何種類も揃えないといけないのです。全自動にしようと思うと何億、何十億かかるか知れません。ところが数千万円する機械でも、ある大手重工のエンジニアの人からみれば「オモチャみたいにチャチな機械なのに法外な値段」だそうです。醸造機械を作る会社は数も少なく、レベルも低いのですね。



●機械で良い酒って出来るのですか?

吉村社長:「酒造り万流」といいまして、いろいろな考え方があります。普通酒は、機械の方が良いのではないかと私は思っています。完全に人間の手で造ったって、こんなに安く良い品質のものは出来ないです。安定的なものを造ろうとしたら絶対機械の方が良いですね。ちなみに、私の父の頃は普通酒も手造りだったので、1本あたり400円の赤字でした。単純計算で1年間に25万本売って年間1億円の赤字ですよ。

ところが大吟醸とか、吟醸、純米のような高級酒などは、毎年、出来栄えが違うのですが、人間の感性にうったえる酒ですから、手造りの方が良いでしょう。感性の差でしょうね。



●酒蔵も元気がなくなってきていると言うことですか?

吉村社長:元気が無いというよりも、単純に儲かっていないのです。7割以上は赤字会社なのですから。2期連続赤字で銀行は金を貸さない世の中で、3年以上の赤字が7割以上です。私は、この業界を「アヒルの業界」とよんでいます。蔵元というのは昔から地元の名士さんが多いので、水面より上は涼しい顔をしてスイスイ泳いでいますが、水面下は足をバタバタさせているのです(笑)

それと、大きな問題が中小の酒蔵には待ち受けています。「酒税法の特例廃止」という問題です。これは租税特別措置法という法律の87条に、「酒類の製造場から清酒等を移出する場合において、移出した数量が年間1300キロリットル以下であるときは、移出する清酒等の200キロリットルまでのものに係る酒税の税額は、規定により計算した金額に、100分の70を乗じて計算した金額」とあります。

何のことかサッパリお解かりにならないと思いますが、先ほどお話しましたように、昔は1級酒、2級酒と決められていました。それが級別廃止によって「わざと、1級酒なみの酒をつくって、2級酒で売っていた」という中小メーカーは困る。そこで租税特別措置法というのを設け、「一定規模以下の酒蔵は、200キロリットルまでは酒税を3割免除してあげます」というものでした。200キロで、だいたい800万円ほど減免されています。

この租税特別措置法は時限立法だったので、期限が近づくたびに業界が政府というより、竹下元総理ですね。あの方は島根の造り酒屋さんでしたから。まぁ政府です。期限が切れるぞ、となったら、政府に働きかけて延長を願い、延長に継ぐ延長で今日まで来ました。ところが、竹下さんがお亡くなりになって、本当に期限が切れる事になりました。そこで、自民党税調のドンである山中貞則さんにお願いしたのです。あの方は鹿児島選出の議員さんですから、焼酎業界の租税特別措置法とセットで日本酒業界もお願いした訳です。あとは、自民党税調会長の武藤嘉文さんにもお願いしたようです。武藤さんは、岐阜の酒造会社の社長さんでしかたら。

酒造会社は政治家が多いのですよ、金丸信さんっていらっしゃったでしょ?あの方は甲府の造り酒屋出身、竹下さんは出雲の造り酒屋、科学技術庁長官だった近岡理一郎さんも、お父さんが造り酒屋。言いたくないのですが女性スキャンダルで退陣した宇野元総理も滋賀県の造り酒屋です。

で、話を租税特措法に戻しますと「今度こそ最期だぞ」という事で、今年の4月から平成18年までは3割免除、平成18年から平成20年までは25%免除、平成20年の4月1日からは完全廃止という事になりました。つまり、平成20年からは800万円の税額負担が発生する訳です。ただでさえ利益率の低い酒造業界で、純利益800万円を稼ごうとおもうと、1億円近い年商をアップさせねばなりません。経営基盤の貧弱な中小酒造メーカーにとっては無理でしょう。



●これからも酒蔵は減るということですか?

吉村社長:まず銀行が金を貸さないです。1500軒のうち1000軒は銀行が簡単に金を出さないでしょう。だから私は最終的に1地域に1軒の500軒以下になると予測しています。

徳川の幕藩体制の時に「300諸侯」と言いましたが、300の藩があった訳ですが、中には大大名もいたでしょうし、1万石の大名もいたことを考えて、酒蔵の500という数字は、あながち間違いではない予測数字かと思います。

ただ、この数字は極端かもしれません。というのも1500社のうち、上位10社で50%のシェア、上位100社で70%のシェア。つまり残りの30%のシェアを1400社で分け合っているのです。大手や中堅が2〜3社倒れたとしたら、中小に廻ってくるパイは大きいのです。

今は需要過多なんです。逆説の逆説を言うようですが、日本の出生率と18歳未満の人口を考えて、単純に胃袋が減っていくのに比べると、日本酒の需要と供給バランスは、まだまだ生産量過多ですね。



●北近畿では、どれくらいの藩があったのですか?

吉村社長:専門家ではないので、詳しくはわかりませんが、但馬地方で出石藩、豊岡藩ですね。話は逸れますが今は豊岡市のほうが圧倒的に人口が多いですが、先ほど控え室で福田会長さんにお話を伺ったところ、昔は出石藩の石高は5万8千石、豊岡藩は1万5千石だったそうです。あと、丹後地域では舞鶴藩、宮津藩、峰山藩といったところでしょうか。丹波は丹波亀山藩、園部藩、山家藩、綾部藩、福知山藩、峰山藩、篠山藩、柏原藩といったところです。



●昔の藩と酒は関係があるのですか?

吉村社長:もともとが大名の御用酒屋という会社は、沢山あります。話が逸れますが、「月丸」という銘酒があります。東京は八王子の西岡酒造という酒蔵の酒ですが、来月に福井県に移転します。私どもも京都の伏見から、はるばる但馬に移転しましたが、西岡酒造の越前移転は少し事情が違います。

西岡酒造の専務の奥さんは、福井の河村酒造のお嬢さんですので、西岡酒造と河村酒造という夫婦の実家の2つの酒蔵が合併して西岡河村酒造として、越前の酒として新たに生まれ変わられます。西岡酒造のほうが河村酒造よりも遥かに大きな酒蔵ですので「良く決断したよね」と関心します。全国でも稀なケースですね。

更に話が逸れてしまいますが、西岡家は、元々は近江商人です。近江商人はたいてい他所に拠点を持って商売をするでしょう?関東には近江商人出身の会社が多いですね。丸紅、伊藤忠、トーメンなどの商社、高島屋、大丸、西武などの百貨店、日清紡、東洋紡、ワコール、ふとんの西川など繊維関係、他にも日本生命、ヤンマーディーゼル、西武グループなど、有名企業は、近江商人に起源をもつ老舗です。更に更に話が逸れますが、世界初の複式簿記を考案したのも近江商人の中井源左衛門という人です。

西岡家も、東京には酒類卸の会社を持っていらっしゃいます。ですから酒造会社を八王子から福井に移転したとしても、彼は近江、越前、東京と、3箇所の拠点を行ったり来たりする事になると思いますが、私も酒蔵は但馬、自宅は大阪、発祥地の京都にはマネジメント会社がありますので、3箇所の拠点をウロチョロしています。お互いに「ジプシー酒屋」と呼び合っています(笑)

この西岡専務は非常に頭の切れる方で、私よりも5歳くらい年上の人ですが、私は、彼の経営姿勢など、随分と影響を受けておりまして、彼としょっちゅう電話で話をするのですが、彼の仮説が非常に面白かったので紹介します。というのは「有力大名の県は地酒が強い」ということです。例えば鳥取は地酒が強いことで有名です。灘や伏見の酒よりも地元の酒をお飲みになる。鳥取藩は池田家です。広島も地酒王国ですが、芸州は浅野家。ちなみに播州赤穂の浅野家は芸州浅野家の分家です。

北陸地方を見てみると、石川県は加賀100万石の前田家、福井県は越前松平家と小浜藩の酒井家、新潟県は高田藩・松平家と長岡藩・牧野家。東北地方では、福島県の会津藩・保科松平家、青森県は津軽家と南部家、秋田県は久保田藩・佐竹家、山形県は米沢藩・上杉家・・・・と、有力大名が1家で代々治めていたところは、えてして地元意識が強い。

例外もあります。四国の徳島藩は蜂須賀家でしたが、徳島の人は地元の酒を飲まないし、岡山県は池田家の本家が治めていた地域ですが、この地域の蔵元に聞くと地元飲酒率が低いそうです。これは灘と広島という巨大産地に囲まれた地域だからだそうです。徳島県にしても、すぐ下に高知県があり、土佐藩・山之内家が治めており、地酒がめっぽう強い所です。山口県・長州は毛利家ですが隣が地酒王国の広島県です。



●但馬は、地酒消費率は高いのですか?

吉村社長:さきほどの法則から言いますと、福田会長さんから先ほどお聞きした受け売りですが、豊岡藩も京極家が治めていたり杉原家が治めていたり、一定ではないようです。また出石藩も小出家や仙石家と一定ではありません。そういった意味からも、強固な地酒王国とは言えないかもしれませんね。

また、私どもの酒蔵がある浜坂は、代官が治めていた地域であり、鳥取経済圏の地域です。法則に従うと、浜坂の人は私どもの酒を飲まないのかもしれません(笑)あまり法則、法則と言うと、どこかの怪しい宗教団体のようですが(笑)あれは定説でしたか(笑)



●酒蔵は女人禁制と聞きましたが?

吉村社長:時代も変わり、女人禁制と言う言葉も酒造りの中から消えています。吉村酒造は、というより吉村家は昔から「女性優位」の家でして(笑)酒造業を開始した頃から蔵元の妻や娘は、酒蔵の中を、大手を振って闊歩していたようです。

ただ、昔は、たいていの酒蔵に女性は入ることが許されなかったようです。女性の生理が酵母に影響するとか、女性の化粧香が酒に移るとか、女性ホルモンがコウジカビの生育を阻害するとか、土俵のように酒蔵に神様がいるから女性は入れなかったとか、諸説ありますが、面白いことに酒造りの神様、松尾様というのは実は、女の神様です。一説によると、女同士で嫉妬するからだろうという話もありますが、先ほどの女性が云々という話しはは全てコジツケの類でしょう。

「酒を醸す」という言葉も「処女の女性が口の中で穀物を噛み酒にしていた」事から生まれたと言いますし、「おかみさん」の語源にもなったようですから、太古の昔は女性が酒を造っていた証拠でしょう。では、なぜ女人禁制といった一見、非合理的な制度があったのか?これは、あくまでも私の推察でしかないのですが、「まちがい」を防止するためのものだと思います。

杜氏や蔵人は、家から離れて半年間も禁欲生活をしているために、不心得者が出るかもしれない。それを防止するためのものだったと思います。今は近代的な建築の酒蔵もありますが、昔からの酒蔵は薄暗い土壁の日本建築です。そこに桶が所狭しと並ぶので、死角も多い。そこに女性の連れ込みなどの事故があってはいけないとの配慮からではなかったかな、と思います。何処の酒蔵かは申しませんが、実際に女性社員さんや近所の娘さんとのワイセツ沙汰で事件をおこした会社もあったようです。



●今でも日本の酒蔵はワインのシャトーと比べて閉鎖的と聞きますが?

吉村社長:一般公開されている酒蔵さんも多いですし、地元密着をしていこうという酒蔵さんにとっては、酒蔵見学は今や不可欠な要素となっています。大変よい事だと思っています。

乾事務局長さんと、先ほど控え室でお話したのですが、乾さんも以前に見学を断られた酒蔵があるとおっしゃっていました。実はその酒蔵は私の友人の会社なのですが(笑) 見学を断る理由は、いろいろあると思いますが、私は安全上の問題だと思います。

特に、乾さんの見学を断った酒蔵は、大変古い酒蔵で、迷路のようになっていて、構造上、大変危ない。見学者がタンクに落ちたり、アルコールが生成される過程で発生する炭酸ガスの中毒を心配するからです。京都の酒蔵で私が見学者を案内していましたら、醗酵中のタンクに顔を入れようとされる方がいらっしゃって、慌てて止めたことがあります。

最近の酒のタンクはマンホール型といって、昔の桶のように、ビーカー型といいますか、開かれていませんから、顔など突っ込んだら一気に窒息してしまいます。窒息すると、意識がモウロウとして、頭からタンクに落ちてしまう。発酵中のタンクはモロミといいますが、ドロドロしているので、一度落ちたら、誰も助けることが出来ません。沈んでいくだけです。

あと、他所の酒蔵ですが携帯電話や財布をタンクに落とす方がいらっしゃったそうです。携帯電話なら買い換えればすみますが、万が一、見学に来られたお客様が怪我でもされたら、企業としては致命傷にもなりかねません。

吉村酒造も、私の代になってからは一般公開をしていません。理由は単純です。先ほどの理由に加えて、「見学に裂く人員がいない」という事と、「私は出張が多い」という事です。当社は主な販売市場は地元ではありません。遠方の北関東です。ですから見学を希望される方には「どうぞ、隣町の酒蔵さんに行ってください。設備も人員も整っていますから」と答えています(笑)



●良い酒の見分け方を教えてください

吉村社長:この際、私の持論を述べさせていただきますが、お酒に「良い酒」も「悪い酒」も無いと私は思っています。「正しい酒」も「悪い酒」も無い。あくまで生産者側の立場としてですよ。生産者からすると、自分の所で生産する商品は「良い商品」であって「正しい商品」であるに決まっています。あとは消費者の方が判断されるべきものなのです。その判断材料は「価格」や「味」「香り」「デザイン」など様々でしょうし、最終的には「買って得をした」とお思いになる商品が、その方にとって「正しい商品」なのだと思います。

日本酒の評論家には「大手メーカーの酒は、まがいものだ」とか「純米酒以外はまやかしだ」と、おっしゃいます。発泡酒に対して「まがいもののビールだ」とおっしゃるのと同じです。発泡酒を飲んでいらっしゃる方は、本当はビールを飲みたいのかもしれない、だけど不況で財布の紐と相談をなさって、決めていらっしゃる訳ですし、納得して飲んでいらっしゃる訳です。日本酒のパック酒も同じことです。お客様が納得して買って飲んでいらっしゃる物に「正しくない」と言う評論家の姿勢こそ、私は間違っていると思います。今日お集まりの皆さんはお金持ちばかりなので、関係ない話かもしれませんが(笑)



●儲からないと言うことは、酒を造って完売しても儲からないと言うことですか。それとも売れなくて儲からないのですか?

吉村社長:両方ですね。酒蔵が今一番困っているのは、売れても儲からないことです。ワインの荒利益は40%ほどあります。日本酒は5%から、多くても25%くらい。3%の所もあります。消費税より安い(笑)構造的に無理があるのですよ。冬に米代を払って、油と電気を使って機械を動かし、人件費をかけて、春に酒が出来ても、秋からお金に換わっていく。で、売れなければ借金だけ残る。トヨタのジャスト・イン・タイムの逆ですね。

つまり、秋に借金したものが、お酒になってお金に換わって帰ってくるまでに1年もかかるのです。昔のお旦那商売のスタイルを今も続けているのです。盆暮れの集金などという気長な資金繰りは、今時は古典落語の世界でしか、お目にかかれませんよね(笑) 暗い話ばかりではないですよ。儲かっているところは、すごく儲かっています。お金の使い道に困っている会社も一握りですが、存在します。皆さんの会社のように優良申告法人の会社が(笑)

新潟のある蔵などは営業車が全てベンツという会社もあるようですし、愛知県の蔵などは、会社のものは全てリースで賄っているところもあります。鳥取の岩美にある酒造会社の社長さんは「借金して酒造りをする蔵元の気持ちがわからない」とおっしゃっています。ある所にはあるんですよ、お金は(笑)



●日本酒業界の発展について秘策は?

吉村社長:個人的意見ですが、ありません。個々の企業努力だと思っています。「海外進出しろ」とか「アルコール度数を下げろ」とか評論家はおっしゃいます。実際にそうしている酒蔵もあります。でも海外進出については、まだまだですね。

業界全体としての秘策は無いでしょう。酒造組合というものがありますが、組合が需要喚起の様々な活動をしてはいますが、日本酒の消費量の減少という流れは、もう止められないでしょう。消費者は日本酒の消費量が上がったとか下がったとか、関係ないんですよ。ただ単に美味しい酒を適切な価格で飲みたいと願っていらっしゃる訳です。

ただ、この適切な価格というのが、実は我々にとっては厄介な問題でして、既に「日本酒はワインより安い」というイメージが定着してしまっています。ワインは40%の荒利を稼ぐそうですから、日本酒とは比べ物になりませんね。荒利をワイン並にするには、原料を下げるか、販売価格を上げるか、2つしか選択肢は無い訳です。そうすると売れないですね(笑) 高くても売れる酒は別ですが、ほんの一握りです。

売れない酒蔵は無くなりますし、資本主義社会としては当然の事です。ところが、評論家や知識人が「売れない酒蔵は辞めろ」と声高におっしゃる事については、正直言って「余計なお世話だよ、売れない酒蔵さんだって、彼らの生活がある」と思ってしまいますね。憲法でも、職業選択の自由というものがありますから(笑)



●酒蔵の寄生虫産業の話をしてください

吉村社長:あれは、福田さんだけに個人的にお話した内容で、ここで披露するのは少々過激な内容ですね。オブラートに包んでお話します(笑) 企業が倒産する直前直後というのは、ある一定のエネルギーを社外に放出します。そこに群がる産業というのは実際に存在しますね。極端な例が「事件屋」とか「整理屋」と称する人々です。

ところが、「ダメな業界」にも群がってくる方々がいらっしゃいます。一番多いのが「コンサルタント」です。まずダイレクトメールで「このままだとダメだ!日本酒業界!」とかセンセーショナルな見出しをつけて送ってきます。中を開けると「酒蔵再生のための5つの法則」とか「10個の成功事例」とか「これをすれば、年商倍増」とか、書いてあります。で、「詳しくはセミナーへ」と書いてある。

冷やかし半分にセミナーに行きましたが、コンサルタント業の王道たる手法で、出席した酒蔵の社長たちに催眠術をかけます(笑) 私は類似業の会社も経営していますので、いちいち細部までは申しませんが、それは見事な手法です(笑) 単純に申し上げますと、センセーショナルなネタで未来予測をして「驚き」を与え、その根拠となるデータを羅列し、引き付ける。次に改善や再生のための法則を数個挙げて、戦略として述べる。このあたりで、出席した社長さんたちの目がキラキラ輝いてくる(笑)最期に成功事例を紹介して、法則と照らし合わせ、仕上げは、シミュレーション。これは企業セミナーの王道パターンです(笑) 興奮冷めやまぬうちに、「個別相談会」です(笑)

実際には、もっと随所に様々なテクニックがあるのですが、これは私の経営するマネジメント会社も使う手法で、企業秘密なので申し上げることは出来ませんが(笑) これにひっかかる酒蔵さんが多いのです(笑) あと、日本酒専門の漫画家とか、日本酒専門のイベント会社とか、日本酒専門のネーミング業とか、日本酒専門の評論家さんとか、日本酒の業界紙とか、様々な方がいらっしゃいますが、いいんですよ、いろんな人がいらっしゃって。日本は自由主義国家ですから(笑) ただ、自分の企業行動に自信を持っていれば取捨選択をすることが出来ますよね。



■まだまだ吉村社長のお話を聞きたいところですが、吉村社長は今から大阪に向かわねばならないとの事で、列車の時間が迫っております。最後にお1人だけ受け付けて、終了させていただきます。



●これからの抱負を聞かせてください

吉村社長:この大変重要な時期に、父の死によって舵取りを任されました。これから大きな責任を感じています。今期は赤字を覚悟していますが、来期からは黒字化に向けて構造改革をしていきます。そのために、いろんな方策を考えています。ここでは申せないことも数多くありますが、他社との提携も積極的に進めていきます。

1つだけ申し上げますと、私は酒造業だけが商売だとは考えていません。将来の発展に向けて、関連会社の力も結集して、シナジー効果を高めて経営基盤を固めさせたいと思っています。もちろん酒造業も足腰を丈夫にしていきます。これから、あっと驚くような事も打ち出すかもしれませんが、所詮は皆さんの息子さんのような歳の私のやる事ですから、たかがしれていますので、「あの若造、やりやがったな」と、笑って温かく見守っていただければ幸いです。今後にご期待下さい。

あ、時間ですか。汽車の時間が迫っているようで、乾さんがイライラしておられますので、このへんで失礼したいと思います(笑) 長時間にわたり、この若造の戯言におつきあい下さいまして、ありがとうございました。最期になりましたが、このような機会を与えてくださった福田会長さん、青木副会長さん、乾事務局長さんに、御礼申し上げます。



■あっという間に、2時間が経ってしまいました。この講演をお願いする際に、紹介いただいた方からは、『若くて豪腕で武闘派』と伺っておりましたので、鬼のような形相をされた方か、プロレスラーのような方を想像しておりました(笑) 目つきは鋭くていらっしゃいますが、優男の顔立ちでいらっしゃって(笑) 大変面白く、わかりやすいお話をしていただきました。
日本酒業界は厳しいとのお話でしたが、これから、あっと驚くような事を計画されているようですので、遠い地からではありますが、応援させていただきたいと思います。本日は遠いところをお越しいただきましてありがとうございました。



■吉村正裕社長の略歴
1972年、京都市伏見区生まれ。
1995年、東海大学開発工学部生物工学科卒
1997年、国税庁醸造研究所を退所。
1997年、吉村酒造株式会社 社長室長
1999年、(株)ミリオントラスト 専務取締役
2000年、吉村酒造(株) 代表取締役専務
2000年、(株)太白興産 専取締役
2001年、松葉屋吉村家 6代目当主
2001年、吉村酒造(株) 代表取締役社長
2001年、(株)サイバーアシスト代表取締役社長

<<目次へ戻る



個人情報保護方針