承安四年(1174)作成されたと伝えられる「丹波国吉富荘絵図」には、熊原村のあたりに水車が描かれています。建久6年(1195)の「東大寺建立供養記」には、水車で大量の精米をし、人力を省いたという記録がありますし、「徒然草」第51段には、建長7年(1255)に後嵯峨上皇が京都の西、嵯峨野の亀山のふもとに仙洞御所(亀山殿)を造られ、亀山 殿の池に大井川(今の保津川)から水を引いた際に「亀山殿の御池に大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて水車を造らせられけり……」とあります。
しかし、一般には水車は精米に使用されることは少なく、精米は足踏み式の米搗き機が用いられていたようで、水車は一般には、灌漑のための揚水用に利用されることが多かったようで、足踏み式の水車が多く用いられたようです。
一般の精米に利用されるようになったのは、元禄時代以降(江戸時代中期)からと言われています。このことは、米の生産高が増えたこととも関係し、水車による精米は、享保のころには各地にあり、1700年代の中ごろ以後に全国に普及しています。

 
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